"ママにあいたい。"というフリーゲームを以前に取り上げました。
ある意味で問題作のこのゲームはそれゆえ多くの人の心を揺さぶり、また深く考えさせられる内容だったようで、ありがたいことに今までにないくらい多くの方が該当記事に考察を書いて下さりました。
私自身もそれによって新しい目線で物語を見ることができ、大変ありがたく思っています。
頂いたコメントも多くなってきたので、それを取り上げさせていただきながら物語の真相に近づくべく考察のまとめを書いていきます。
何故「彼」は最後にあんな行動を取ったのでしょうか?
考察の前提として
この記事を見ている方はもうストーリーを知っているという前提で、主に真エンドについての考察になるのでネタバレについては考慮していません。もし知らないという方がいらっしゃるのであれば以下の記事をご覧ください。
『ママにあいたい。』中盤~全エンディング攻略と簡単な考察
考察まとめ
実は真エンドのタイトル画面は…
真エンドエピローグ前のタイトル画面にも秘密があります。一見、画面をバグらせただけの演出に見えますが、この文字化けした部分に注目。
「繝槭?縲√ヰ繧、繝舌う」これはShift-JIS形式(SJIS形式)で、これを私たちが普段使用しているUTF-8形式に直すと「マ�?、バめAバイ」→「ママ、バイバイ」となります。
これから起きることを示唆している文章になっていますね。
これは母親を刺したのは事故では無く、確実に故意だったということを意味しています。
「うねうね」は誰のもの?
頂いたコメントで意見が割れていたもの、その1つが「うねうね」です。間違いなく陰毛だと思われますが、
・これは誰のものか
・何を意味するところなのか
ということは本編で一切語られませんので、我々プレイヤーが推測するしかない部分です。
各個人で考え方が変わるのも当然ですね。
・4番目自身のもの説
・相手の男性(4番目の父親)のもの説
・母親のお客さんのもの説
等の意見がありました。
これは真エンドへのキーアイテムなので、4番目関係というのはほぼ確定でいいでしょう。
幼くして命を落とした4番目自身のもの…というのは考えづらい、さらに関係性が深いものと仮定すると父親のものの可能性が高いのではないでしょうか。
半分4番目みたいなものですしね。
4番目の父親は?
4番目の出自に関しては他の子とはちょっと違うようです。「血が濃い」、「先天的な身体的障害」ということから連想すると、おそらく母親とその近親者による子供なのではないでしょうか。
4番目に関しては詳しく語られることがないため、ハッキリとは分かりませんが。
父親もしくは男兄弟についての情報がストーリー上は一切出てこず、2番目出産後に母親は親族と距離を取ろうとしているのでこの部分はちょっと怪しいかもしれません。
・1番目…「彼氏の兄」
・2番目…「彼氏」(不注意というワードから推測。「1番目と同じように」ということは兄の可能性もあり)
・3番目…「お客さん」
・4番目…「不明」
・5、6番目…「あの人」
父親をまとめるとこんな感じになります。
「生太」はいつ乗っ取られた?
コメントで割れている意見のもう1つがこれであり、考察の核心部分になります。成長した「生太」が母親を刺したと思われるシーン。
最終的には生太は4番目に乗っ取られたという意見はコメント上ではおおよそ一致していました。
片目だけが赤くなっていることで、単眼症だった4番目が生太の中に少なからずいることが分かります。
※ゲーム中、死んだ子供たちの魂は全て目が赤くなっていたため
しかしここからちょっと細かく派生します。
・大分早い段階から乗っ取られていた説
・別エンドで5番目のお兄ちゃんに4番目が乗り移っていたことから、その腕を譲り受けて自分も乗っ取られた説
・「うねうね」を持ち帰ったことで4番目の残留思念に支配された説
・自分にも「うねうね」と同じものが発毛した段階で記憶が蘇った、または4番目の復讐衝動が膨らんだ説
頂いたコメントと自分の考察も混ぜたらこのようになります。
真エンド条件になる選択肢で「おにぃちゃんに行ってもらいたい」がありますが、そこで生きる意志が弱まり4番目に付け込まれたのではないか、という鋭い意見もいただきました。
確かにストーリー中、「少しでも生きようとする意志が揺らげば乗り移れる」とはっきり言及されています。
希望的観測で述べると、キーアイテムだった「うねうね」が関係していてほしい。
それプラス、「何故この年齢で事を起こしたのか」ということがヒントになるのではないかと思いますので、その線から考えていきます。
「どうして…やっと会えたのに…。」
というセリフも短いですが大事なピースですね。
よって、「おにぃちゃんに行ってもらいたい」は単なる選択肢ではなくここが4番目の付け入るスキになって、「うねうね」も何かしらの要素になったと考えるのが自然ではないでしょうか。
もちろん「生太」という名前を取得することも関係があるのでしょう。
・心のスキを与えてしまい、最後に4番目がその部分に乗り移った
・「うねうね」は事件の際の生太の年齢を推察するに、自分にも同じものが生えてくることでおそらく4番目の思念を呼び起こす時限爆弾のような役割を果たした
・「生太」という名前は、名前も貰えない他の子たちとの違いを象徴し、母親の身勝手な心変わりへの違和感を感じ取る決定的な材料になってしまった
出来る限り矛盾の無いよう、材料に意味を与えると上のようなことが言えるのではないでしょうか。
普通に暮らしていて、子供がこの年齢になっているのに「やっと会えたのに…」なんてことを言うでしょうか。
ゲーム中では生まれた直後なのである程度の違和感は消えていますが、冷静に考えると少しおかしいような気がします。
さも初めて我が子に対面したような言い方ですが、生太が成長するまでの期間「別離」していたことを意味しているのではないでしょうか。
何でそうなったか、は想像することしかできませんが、例えば両親が離婚し父親側に引き取られたと考えるのが一般的かもしれません。
しかし子供が生まれた直後で、色々と面倒を見ると言っていたらしい「あの人」がそのような決断を?と考えるとそれもおかしい。
この母親は過去の悪行が明るみになって刑罰を受けていたと考えた方が自然ではないでしょうか。
1番目と2番目の時は病院にも行っていないでしょうから隠し通せたかもしれませんが、3番目の時はお金を貰い病院へ間違いなく行っています。
子供を産めば公的な手続きは色々と必要になりますので、その時に3番目のことから芋づる式に発覚した可能性は十分にあります。
最後はこのゲームのタイトルについて。
かなり多くの人が言っているのですが、「主人公はなぜ母親に会いたいのか作中で言っていない」ということに絡めて少し。
確かに主人公は会ってどうしたいか一切言っていません。
これによって「愛されたい」のか「復讐」の為なのか含みを持たせてるかもしれないと考えるわけですね。
「ママにあいたい。」というタイトルは両方の意味を含んでいると。
個人的にこれについて述べさせていただくと、子供が母親に会いたいと思うことに理由が必要なのかなと思うのです。
主人公は作中では理由について言っていないものの、3番目の脳を譲り受けた後でさえ負の感情は出していません。
むしろほとんど喜怒哀楽というものがありませんでした。
単純に「生きたい」と強く願うだけで、その為に母親を必要としているように見えます。
さらに思い返してほしいのは、前述の母親と別離していたかもということについてです。
この仮説が正しいとすれば、殺意を持った状態で母親を待っていたと考えられます。
胎内→純粋に会いたい
成長後→殺す為に会いたい
最初に述べた方が間違っているというわけではなく、むしろアプローチとして考え方は同じなのですが、ここで本当に「ママにあいたい。」というタイトルが両方の意味を含んでいることになるのでは、と私は考えます。
見落としや乱文でまとまってない部分もあるかと思いますので、気付いたら加筆や修正をするかもしれません。
あと、本当に最後になってしまいますがあくまで一個人の意見です。
想像の余地が多いので各人の考えを否定するものではないことはご了承ください。
このゲームに関して大変参考になるコメントをいただいた皆様、本当にありがとうございます。
・自分にも「うねうね」と同じものが発毛した段階で記憶が蘇った、または4番目の復讐衝動が膨らんだ説
頂いたコメントと自分の考察も混ぜたらこのようになります。
真エンド条件になる選択肢で「おにぃちゃんに行ってもらいたい」がありますが、そこで生きる意志が弱まり4番目に付け込まれたのではないか、という鋭い意見もいただきました。
確かにストーリー中、「少しでも生きようとする意志が揺らげば乗り移れる」とはっきり言及されています。
希望的観測で述べると、キーアイテムだった「うねうね」が関係していてほしい。
それプラス、「何故この年齢で事を起こしたのか」ということがヒントになるのではないかと思いますので、その線から考えていきます。
「どうして…やっと会えたのに…。」
というセリフも短いですが大事なピースですね。
まず生太について
やはり真エンドまでの条件は考えなければいけないと思います。よって、「おにぃちゃんに行ってもらいたい」は単なる選択肢ではなくここが4番目の付け入るスキになって、「うねうね」も何かしらの要素になったと考えるのが自然ではないでしょうか。
もちろん「生太」という名前を取得することも関係があるのでしょう。
・心のスキを与えてしまい、最後に4番目がその部分に乗り移った
・「うねうね」は事件の際の生太の年齢を推察するに、自分にも同じものが生えてくることでおそらく4番目の思念を呼び起こす時限爆弾のような役割を果たした
・「生太」という名前は、名前も貰えない他の子たちとの違いを象徴し、母親の身勝手な心変わりへの違和感を感じ取る決定的な材料になってしまった
出来る限り矛盾の無いよう、材料に意味を与えると上のようなことが言えるのではないでしょうか。
ラストシーンについて
最後の母親のセリフには考えなければいけないことがあります。普通に暮らしていて、子供がこの年齢になっているのに「やっと会えたのに…」なんてことを言うでしょうか。
ゲーム中では生まれた直後なのである程度の違和感は消えていますが、冷静に考えると少しおかしいような気がします。
さも初めて我が子に対面したような言い方ですが、生太が成長するまでの期間「別離」していたことを意味しているのではないでしょうか。
何でそうなったか、は想像することしかできませんが、例えば両親が離婚し父親側に引き取られたと考えるのが一般的かもしれません。
しかし子供が生まれた直後で、色々と面倒を見ると言っていたらしい「あの人」がそのような決断を?と考えるとそれもおかしい。
この母親は過去の悪行が明るみになって刑罰を受けていたと考えた方が自然ではないでしょうか。
1番目と2番目の時は病院にも行っていないでしょうから隠し通せたかもしれませんが、3番目の時はお金を貰い病院へ間違いなく行っています。
子供を産めば公的な手続きは色々と必要になりますので、その時に3番目のことから芋づる式に発覚した可能性は十分にあります。
最後に
今まで述べてきた部分でかなりストーリーの真相が見えてきた気がします。最後はこのゲームのタイトルについて。
かなり多くの人が言っているのですが、「主人公はなぜ母親に会いたいのか作中で言っていない」ということに絡めて少し。
確かに主人公は会ってどうしたいか一切言っていません。
これによって「愛されたい」のか「復讐」の為なのか含みを持たせてるかもしれないと考えるわけですね。
「ママにあいたい。」というタイトルは両方の意味を含んでいると。
個人的にこれについて述べさせていただくと、子供が母親に会いたいと思うことに理由が必要なのかなと思うのです。
主人公は作中では理由について言っていないものの、3番目の脳を譲り受けた後でさえ負の感情は出していません。
むしろほとんど喜怒哀楽というものがありませんでした。
単純に「生きたい」と強く願うだけで、その為に母親を必要としているように見えます。
さらに思い返してほしいのは、前述の母親と別離していたかもということについてです。
この仮説が正しいとすれば、殺意を持った状態で母親を待っていたと考えられます。
胎内→純粋に会いたい
成長後→殺す為に会いたい
最初に述べた方が間違っているというわけではなく、むしろアプローチとして考え方は同じなのですが、ここで本当に「ママにあいたい。」というタイトルが両方の意味を含んでいることになるのでは、と私は考えます。
見落としや乱文でまとまってない部分もあるかと思いますので、気付いたら加筆や修正をするかもしれません。
あと、本当に最後になってしまいますがあくまで一個人の意見です。
想像の余地が多いので各人の考えを否定するものではないことはご了承ください。
このゲームに関して大変参考になるコメントをいただいた皆様、本当にありがとうございます。
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最初から4番目の意思をもって産まれたとすると
返信削除最初から殺〇ために会いたいもあり得るのでは?
確かにそうです。
削除本文中のような書き方になっているのは、(個人的な願望に近いものになってしまいますが)最初から乗っ取られていたとすると「うねうね」の存在意義がゲーム的に薄くなってしまうような気がしていたためです。
「うねうね」は単に4番目が乗り移るための媒体としての存在だと考えれば矛盾はしないので、「最初から」というのも一つの答えとして十分にアリではないでしょうか。
1番目と2番目は双子だった気がするのですが、
返信削除双子だと親も同じなのではないかと思うのですが…
双子と明言されているのは5番目と主人公である6番目のみだったはず…?
削除「双子では無い」とはっきりとは言っていませんが、1番目と2番目は殺され方が違うため年が離れていると思われます。
一番目からは笑顔を
返信削除二番目からは現実を
三番目からは脳と優しさを
四番目からは憎悪と復讐を
五番目からは腕と愛を
(所々おかしいのは気にしない)
兄弟たちの意思を受け継いで生まれた素直な生太くん...
自分の意思で(乗っ取られていない)殺したと信じたい...